大丈夫って皆そうだと思うのか?『天気の子』を見て思ったことを書き散らす(ネタバレ有)

 

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遅ればせながら、ようやっと見に行きました『天気の子』。

正直『君の名は。』はあまり私には合わず、この作品を楽しめるのか不安でしたが杞憂でしたね。あまりにも一途に、真っ直ぐに陽菜のために突っ走る帆高。例え世界の形を変えてしまったとしても、陽菜と居られる世界を選び「大丈夫」と肯定しきる姿には感心しました。

でも、同時にあの「大丈夫」と肯定しきった世界には大丈夫でない人だって沢山いるはず、そんな状況にした帆高の選択は、人が叶えていいものだとは思えないんです。

 3年間、雨が降り続き、東京の埋め立てた土地が沈み、そこに暮らしていた人々の生活はどうなってしまったのか。そこまでして陽菜と再会したかった、帆高の願いは余りにも多過ぎる犠牲がつきまとい、人が叶えていいものだとは思えないのです。こんな世界、あなた達にとっては「大丈夫」と言えたって、ほかの人にとってはそうじゃないと、考えられないのか、とすら思いました。

 ま、自分がこの作品を見て抱いた感想は、ざっくりまとめるとこんな感じですね。

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(画像引用元:https://www.youtube.com/watch?v=mTjldeDW9B8)

「お前達の変えた世界って醜くないか? 泥濘まみれの、なんて歩きにくい道だ。 これで誰にとっても大丈夫と、とても言えやしない。 だから、一から『平成』をやり直し綺麗に舗装してやろう。」